【3.11から15年】仙台で「死」を覚悟した私が、今伝えたいこと
1. 散乱するスリッパで脱出、雪の行軍
15年前の今日。2011年3月11日、午後2時46分。 私は当時、宮城県の仙台駅東口に新規開校したばかりの個別指導塾に着任したばかりでした。 真新しい校舎、改装したばかりの自習室。スタッフ数名でミーティングを始めた矢先、経験したことのない猛烈な揺れが襲いました。
とっさに大きなテーブルの下に潜り込みましたが、テーブルごと体が投げ出されるほどの衝撃。 「あ、ビルが崩れる。死んだな。私の人生、短かったな……」 本気でそう思いました。人は、本当の意味で死を覚悟するほどの危機に直面すると、言葉を失うのですね。
揺れが収まり、暗闇の中、上司の「逃げるぞ!」という声で正気に返りました。靴を探す余裕など一刻もありません。入り口付近に散らかったスリッパをひっつかみ、そのまま外へ脱出しました。 3月の雪がちらつく中、その薄いスリッパのまま、自宅までの上り坂を2時間。足元の冷たさと終わりの見えない恐怖の中を歩き続けたあの感触は、今も忘れることができません。
2. 極限のサバイバルと「火事場の馬鹿力」
自宅についてもライフラインは全滅。そんな中、私は一緒に避難したスタッフを自宅へ送り届けるため、エンプティランプ寸前の車を出しました。陥没した道路、消えた信号。「とにかく同僚を送り届けなければ」という一心でした。
その後1週間の生活は、まさにリアル・サバイバル。早朝5時から極寒の中で2時間並んだデパートの光景や、2km先の給水所まで重いポリタンクを運んだ日々。あの過酷な経験が、私の「生きるための知恵」の基礎となりました。
3. 仙台での経験が、札幌で「余裕」を生んだ
数年前、ここ札幌でも大きな震災がありました。2018年9月6日、午前3時7分。北海道胆振東部地震によるブラックアウトです。 周囲がパニックになる中、私は不思議と冷静でした。 「電気だけ止まっているなら、仙台に比べれば楽勝だ。物流も3日で戻る」 確信がありました。他店に長蛇の列ができる中、私は並ぶ代わりに「今、塾長として何をすべきか」を考えていました。
4. 「昼間なら授業ができる」という逆転の発想
震災の翌日、私は学力Aテストを直前に控えた中3生の全生徒宅へ、自転車で手紙を持って回りました。メールが使えないなら、直接届ければいい。 「電気が止まっていても、昼間は明るい。だったら、昼間に授業をすればいいじゃないか」 そう考えたのです。
ご迷惑にならないよう、ご不在のご家庭にはポストへ投函して回りました。 「明日からお昼に授業をします!」 ふたを開けてみれば、地震からわずか2日後。まだ電気が復旧しきらない教室に、生徒たちが全員顔を揃えてくれました。
「札幌市内のどの塾よりも早く授業を再開していた」という自負があります。 あの光景を見たとき、自分のしたことは経営者として、塾長として正解だったんだと、心の底から嬉しくなりました。
5. 最後に:勉強は「生き抜く力」になる
追い込まれた時に湧き出る知恵。それは、勉強を通じて鍛えた「考える力」が基礎になっていると確信しています。 あの日、仙台で死を覚悟した私が、今こうして札幌で生徒たちに勉強を教えている。この日常を大切にしながら、これからも「どんな困難でも生き抜ける知恵と強さ」を伝えていきたいと思っています。
震災から15年。
改めて犠牲になられた方々に哀悼の意を表します。
あの日生かされた命への感謝を忘れず、これからも子供たちの未来を照らす存在であり続けたいと強く願っております。
