AI採点の「便利」は、本当に「正解」か?
先日、当塾に教材会社の営業さんが見え、最新の「AI自動採点システム」を紹介してくれました。スマホでパシャリと撮るだけで、採点から解説まで自動で完了。一見、夢のようなツールですが……。
授業中の雑談で生徒たちに「これ、どう思う?」と直感で答えてもらったところ、事前の打ち合わせなしで、三者三様の「本質を突いた答え」が返ってきました。
生徒たちが指摘した3つの「違和感」
-
「スマホを出す手間の方が面倒」(附属中・女子) 勉強部屋にスマホを持ち込まない、という鉄則が身についているからこその視点。ツールを使うための「準備」が学習の集中を削ぐことを、彼女は見抜いていました。
-
「AIだって間違えることがある」(あい中・男子) まさにその通り。デモ中にも誤判定がありました。AIを盲信せず、「自分の目で確かめる」という批判的思考が備わっています。
-
「自分で丸を付けるからこそ、記憶に残る」(あい中・男子) これが最も鋭い指摘かもしれません。自分の筆跡で「×」を書き、悔しさを感じ、正解を書き込む。そのプロセス自体が「記憶」になることを、彼は体感的に知っていました。
私が感じた「学力低下」への懸念
便利なツールを否定するわけではありません。しかし、教育の現場に立つ人間として、私は「丸付け能力を奪うことは、自学自習の力を奪うこと」に直結すると危惧しています。
採点とは、単なる「作業」ではありません。
-
「なぜ間違えたのか?」という原因の分析
-
「自分の弱点はどこか?」という客観的な把握
-
「次はどう解くか?」という戦略の構築
これらすべてが「丸付け」という行為に詰まっています。AIに丸投げすることは、これらの思考トレーニングを放棄することと同じではないでしょうか。
結論:AIは「道具」であって「主役」ではない
低学年の導入期や、先生側の事務効率化には有効かもしれません。(私は先生も採点はAI任せより自分でした方が性徒の弱点がわかり良いと思います。)
学力を伸ばしたい中学生にとって、自分の手で〇を書き、×に向き合う時間は「聖域」です。
何でもかんでもAIに任せればいいわけではない。 「手間をかけるべきところ」と「効率化すべきところ」を履き違えると、教材開発も教育も、間違った方向へ進んでしまいます。
これからも当塾では、泥臭く、自分の手で弱点を把握する「本物の学習」を大切にしていきます。
あとやたら多い教科書のQRコードとか、動画とか、全部見て使いこなせてる生徒がいったい何人いることやら・・・。
